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【京都北白川 ラーメン魁力屋】豊富な商品と多様な店舗タイプを持つ万能型ラーメン店(前編)

公開日:2024.08.29

最終更新日:2024.08.30

※以下はビジネスチャンス2024年10月号から抜粋した記事で、内容は取材時の情報です。

スタンダード上場を果たし、満を持してFC開始

 昨年12月15日に東証スタンダード市場への上場を果たした魁力屋。2005年の1号店オープンから直営店主体で出店拡大を続け、今年7月末現在で「京都北白川 ラーメン魁力屋(以下:魁力屋)」を142店舗展開している。同店は万人受けする醤油ラーメンを武器に、定食メニューやお子様セットなど商品を充実させることで、幅広い顧客層からの支持を獲得。客層を広げたことから、ロードサイド・商業施設・ビルインの3タイプでの出店も可能となった。そんな同社は昨年、ついにFC展開を開始。FCによる加速度的な成長を狙う藤田宗社長に、同店の強みと今後の成長戦略について聞いた。

京都北白川 ラーメン魁力屋 魁力屋:京都市中京区 藤田 宗社長(56)

Profile ふじた・つかさ
1968年8月生まれ。京都府京都市出身。2005年7月に株式会社魁力屋設立。同時に代表取締役社長に就任し、現在に至る。

 

 

 

 

 

 ロードサイド店舗が多い魁力屋は、コロナによる深刻な影響を受けなかった。アフターコロナとなった現在、既存店の回復と新規出店などにより、売上高は22年12月期の第1四半期から8四半期連続増収を達成している。直近の決算報告(24年12月期第1四半期)によると、売上高は28億8700万円と前期比16%増、営業利益は2億1600万円と前期比9.4%増と引き続き好調だ。

コロナ下に社内体制を整備 昨年にスタンダード上場

--御社はこれまで直営店と社内独立店のみで店舗数を伸ばし、昨年12月15日の上場時点で全国に134店舗を展開するまでになりました。
藤田 実は、準備を始めてから上場するまでに約7年掛かっているんです。当初はマザーズ(現 : グロース)市場を狙っていましたが途中でコロナとなりました。その期間に盤石な体制を整えていった結果、より上位のスタンダードからスタートさ上場した1番の理由は、従業員が胸を張れる会社にするためです。飲食店勤めは、どうしても立場が低く見られがちです。上場企業というステータスを加えることで、従業員も働きやすくなると考えました。
--当初の計画より1ランク上の市場に上場ということは、コロナで深刻な影響は受けなかったのでしょうか。
藤田 コロナの影響はもちろん受けましたが、当社はロードサイドが中心なので比較的少ない影響で済みました。外出自粛の期間でも運搬系や医療系の方は動いていたので、そういう方々に利用していただいていました。ただ、ロードサイドは夜に売り上げる商売ですので、時短営業を強いられたのはきつかったですね。
 現在はコロナの影響も完全に消え、成長段階に来ています。前期も二桁成長を達成しました。この先も売上高と営業利益ともに110%以上の成長を目指しています。

ロードサイド店舗はコロナの影響が比較的少なかった

 魁力屋1号店は、2005年に京都の修学院でオープンした。しかし、京都はラーメンチェーン激戦区。新参者が戦うにはあまりに分が悪かった。そこで、魁力屋は京都を回避し、大阪出店に舵を切った。さらに、当時のラーメン店では重要視されていなかった、接客や子ども向けサービスにも注力。これらの取り組みが奏功し、繁盛店として京都に凱旋することになった。

商売人の家系出身 笑顔になれる商売を

--魁力屋といえば京都背脂醬油ラーメンですが、ご実家が元々醤油問屋だったようですね。
藤田 曽祖父が京都御所の南側で醤油問屋を営んでいました。京都は今も昔も味にこだわる街ですが、当時は色々な料理人がうちに醤油を買いに来ていたと聞いています。醤油問屋は祖父が引き継いだ後、酒屋に転換しました。
 一方で、私の父は祖母と一緒にクリーニング店を開業しました。私は22歳でクリーニング店の跡継ぎとなり、100店舗くらいまで増やしました。しかし、どうしてもラーメン店をやりたくて、36歳のときに魁力屋を設立しました。
--なぜラーメン店に魅かれたのですか。
藤田 代々商売は代わっていますが、商売人の家系に生まれたので何かやりたいなという思いはありました。その中で、家の近くにあったラーメン屋台がすごく賑わっていたんですよ。そこで美味しいラーメンを食べたお客さんが皆笑顔になっているのを見て、こういう商売がしたいと思うようになりました。

幅広い世代に人気の特製醤油ラーメン

創業当初から接客に注力 客に喜んでもらう精神

--1号店オープンは2005年ですが、立ち上げは順調でしたか。
藤田 1号店は京都の修学院に出したのですが、最初はなかなか難しかったです。というのも、京都には天下一品さんや第一旭さん、ラーメン横綱さんなど強いラーメンチェーンが当時から多数存在しました。私たちは新参者で、知名度もなければ歴史もありません。そのような状況で京都展開を続けるのは難しいと思い、1回外に出ることにしました。たまたま箕面に物件があったので、2店舗目は大阪に出店しました。それがヒットしたんです。
--ヒットの要因は激戦の京都を避けたこと。
藤田 そのときに、どこ発祥のラーメンか分かるよう看板の上に「京都北白川」の冠を付けたんです。それがターニングポイントとなり、一気にお客さんが来るようになりました。箕面店の次に出した宝塚店も同じように売れて、10店舗くらいになったタイミングで繁盛店として京都に戻ってきました。
 また、私たちは創業当初から接客に力を入れてきました。今でこそ膝つき接客するお店も結構増えていますが、当時は頑固オヤジがやっている不愛想な店が多かったんです。店も会社も努力するから成長できるわけで、何もしなければ潰れるじゃないですか。ラーメンが美味しいのは当たり前。その上で、お客さんに喜んでもらったら絶対に潰れることはないと思い、皆で接客を頑張ることにしました。
--ラーメン店は1人来店が多く、滞在時間も短いです。その中で、どのような接客をしていたのでしょう。
藤田 笑い話ですけど、雨の日にお客さんが駐車場に来られると、「今日もありがとうございます〜」と傘をさして迎えに行ってたんです。レジ台の下にもタオルを用意して﹁濡れた鞄にお使いください!」と渡していました。ラーメン屋でこんなことをやっていたら気持ち悪がられますが、潰れるのが怖いので一生懸命に営業しました。
 中でも、玄関とレジの大事さは皆にずっと言い続けています。当店が自動ドアにしていないのは、スタッフが扉を開けて「いらっしゃいませ」と笑顔でお迎えするためです。注文を聞くときは、お客さんと目線の高さを合わせて膝つき接客をする。そして、お会計時はお客さんとコミュニケーションをとる。雨が降っていたら「お足元が悪い中すみません」とか、暑い日なら「暑い日にわざわざありがとうございます」など、何か一言かけるように伝え続けています。
--当時のラーメン屋では二の次とされていたサービス面に注力してきた結果、受け入れられるようになったのですね。
藤田 そうですね。また、当店ではお子様セットにおもちゃを付けて出しているのですが、これも当時のラーメン屋では滅多に見ない取り組みでした。しかし、ファミリーに来てもらいたい、お子さんに喜んでもらうにはどうしたらいいかと考える中で、おもちゃを出すことにしました。これにより、今では親子三世代で来ていただけるようなラーメン店になりました。

創業当初から接客に注力してきた

【京都北白川 ラーメン魁力屋】豊富な商品と多様な店舗タイプを持つ万能型ラーメン店(中編)

【京都北白川 ラーメン魁力屋】豊富な商品と多様な店舗タイプを持つ万能型ラーメン店(後編)

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